北陸新幹線の急勾配

軽井沢駅の新幹線ホーム。東京方面を見てみると、
このようにカーブを描いてる。
Googleマップで見ればわかるだろう。
軽井沢駅を過ぎると、すぐに北へカーブしてる。今日はこのカーブが出来た経緯について記す。

ルート選びで苦労を強いられた
北陸新幹線の高崎から軽井沢間は、距離は40kmしかないのに、高低差が840mもあるのだ。高崎から軽井沢へ向かうと、途中で下がって上がっていうことが目立つ地形が無いため、ひたすら上がりっぱなしということになる。そのため、常に20‰(1000m進むごとに20m登る)の勾配が生まれてるのだ。なんだそれだけ?確かに1000mで20m上昇するなんて人間が歩くに際しては簡単な話だが、鉄道はそうはいかない。鉄道は沢山の車両を連結して走れるメリットがある分、勾配には弱いのだ。高速運転に特化した新幹線ならなおさら弱点となる。理想の線形としては、国鉄も工事を担当した会社も12‰で勾配を抑えときたかった。しかし、40kmしか距離が無くて、青線のように線路を通すと70km分の距離を迂回せざる得なくなるため、工費も膨らむことでこれも却下。さらに、標高が高い軽井沢駅を通らなければ、当時から年間80万人の観光客を誇り絶大な人気を誇ってた軽井沢から利益を得られないのも問題があった。
最終ルートを選考するにあたり、立役者となったのは稲葉通彦氏だった。この人は東海道新幹線を建設するとき、ルートを選んだ方法はまず東京ー大阪間を直線で敷いてそこから条件をみんなが出し合って、決めるという方法だった。そこでさっそく軽井沢ー高崎間の直線も敷いてみた。すると、最高勾配が21‰であることが発覚した。高崎駅を出たら、すぐ勾配を上り始め、軽井沢までずっと20‰の上り坂が発生するという。ちなみになぜ、高崎からだっとこんなに勾配が緩いのに横川から出発すると65‰以上の坂ができたかというと、それは簡単で横川からだと軽井沢まで距離が短いからだ。話を戻しそのあと横川の北に迂回すれば、30‰ぐらいで行けるのではないかと考えた。しかし、国鉄は松井田付近に駅を作るという話を住民に問いかけ期待させてたため、必ず駅を作りたいということで、1kmぐらい地上区間に水平に線路を敷くよう命令も出した。これが結局、今のようなルートになった。開業後は、ルート候補として上がってた「軽井沢の南を通るルート」の予算より、1000億円以上安くできて、所要時間も20分短縮、更に軽井沢やその周辺の観光客も増えて、成功を掴んだ。
この区間は、新幹線と同時期に出来た上信越道とも相性が良いと言えるだろう。新幹線の使命は、地域と地域を短時間で結ぶことだので、駅は極力少なくしたい。一方の上信越道や関越道の群馬県区間は、インターが多いため当然のことながら使い勝手がいいと言える。安中榛名駅は今や1時間に一本あるかないかぐらいの小さい駅であるため、建設してからどうだったかは観点からで変わるが、安中榛名駅周辺には、住宅街も広がってるので良いのだろう。かつては田園地帯に作られた岐阜羽島駅も「なんのために作られたのか」という疑問視する意見もあったが、新幹線は高速で走るため、騒音問題と密接な関係に置かれてる。だったら線路を郊外に移してそこで住宅街や大型商業施設も作ればその駅との相性もよくなるのだ。

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